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『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 [ノンフィクション]


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか









『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』/増田俊也  新潮社

Kindle版電子書籍にて




“木村の前に木村なく、木村の後に木村なし”



なんともショッキングなタイトルに惹かれたのも事実。

本屋さんに並んでいてはまず購入しなかったであろう一冊です。

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約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に
使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。
しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は?
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昭和29年12月22日----。不世出の柔道家、「鬼の木村」こと木村政彦は
プロ柔道からプロレスに転じる。
人気絶頂の力道山との「昭和の巌流島決戦」は「引き分けにする」ことが事前に
決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。
まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。
まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。




自分たちの親世代は「木村政彦」の名前をリアルタイムで知っているだろうし、
自分たち世代は漫画『空手バカ一代』でその存在を知ったと思う。

だが自分らより下の世代で「木村」という柔道家の存在を知っているものが
あるとすれば、それは平成5年(1993)のアメリカ・デンバーで開催された
第一回のUFCの大会で優勝したホイス・グレーシーが
「われわれにとってキムラは特別な存在です」と発言したのを聞いた人で
あろうと思う。

多くの格闘ファンにとってそれは衝撃的な発言だった。

戦後、史上最年少で日本選手権を制し、その後15年間、不敗のまま引退。
天覧試合でも優勝し、木村政彦は間違いなく日本柔道史上、最強の柔道家だった。
また、力道山戦の3年前、ブラジルに遠征し、ホイス・グレイシーの父、
エリオの腕を骨折させて圧勝、その技はキムラロック」として、世界的に定着。

柔道寄り、木村寄りの目線で書かれているのを差し引いても
木村政彦の強さはよく理解できる。
グレイシー一族の父、エリオ・グレイシーとの一戦は奇跡的に動画が存在しており、
YouTubeでも観ることができる。

その粗い映像を見るだけでも木村の怪力ぶり、また大外刈りの強烈さがわかる。
「一本をとるため」の投げではない大外刈り。角度が違う。力が違う。

師匠・牛島辰熊との逸話から自身の弟子、岩釣兼生の生き様にも触れ、
その流れは最後、最年少で柔道選手権を制した石井 慧(いしい さとし)に
まで及ぶ。

原著では上下2段の700pという大作であったが中だるみすることもなく
一気に読めました。


木村政彦、そして大山倍達、力道山と戦後の格闘界に君臨した3人の男だちの
交流、そして決別。
力道山戦での不可解なKOのあと、大きくそのキャリアを狂わせた天才格闘家
の名誉を一気に回復したのは他ならぬ『空手バカ一代』のヒットであった。

前途のホイス・グレイシーの発言が世界中に中継されるわずか半年前、
木村政彦はこの世を去ったそうです。
もう少し、せめてあと一年その生があったならもっともっと多くの人の
注目を集めていただろうとも思うのだけれど、そうならなかったところも
いかにも木村政彦らしいという気がします。





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